京峰石だより
祇園祭 岩戸山②
岩戸山 組み立て2日目 丁度昨日の写真から24時間後って感じです 丁寧に縛ってます この縄・・どれくらいもつのかな?? 材質は稲わら?? 稲の再認識・リスペクト 素人目線で言うと「枯草」・・人はこの紐(ロープ)のように再利用したり、牛は美味しそうに食べて あれだけの大きな体になる・・・世の中は面白い この木が最上部に飾られるのでしょう しかし間近で見ると大きい・・・どこから伐採したのかも部外者ながら気になる・・・
祇園祭 岩戸山②
岩戸山 組み立て2日目 丁度昨日の写真から24時間後って感じです 丁寧に縛ってます この縄・・どれくらいもつのかな?? 材質は稲わら?? 稲の再認識・リスペクト 素人目線で言うと「枯草」・・人はこの紐(ロープ)のように再利用したり、牛は美味しそうに食べて あれだけの大きな体になる・・・世の中は面白い この木が最上部に飾られるのでしょう しかし間近で見ると大きい・・・どこから伐採したのかも部外者ながら気になる・・・
清和天皇陵と天皇社(神社)を守り続けた人
現在に至っては天皇陵は宮内庁の管理、天皇社は水尾の人々が持ち回りで管理している。天皇陵も政治が安定しているときは役人の担当が管理していたと思われるが、その手が及ばないと時は水尾の人々が管理していたのかもしれない。そう水尾の人々は約1150年前からずっと守ってきたものがあった。村人の姓で一番多いのが「松尾」さんのようで 清和天皇の子孫にあたる源姓は誰一人としていない。その後 あれだけ歴史に名を残した源氏・・。子孫に守られることなく、当時天皇に仕えた人々の子孫が守り続けた・・世の中そんなものなのかもしれない・・色々と深く考えてしまいます。
清和天皇陵と天皇社(神社)を守り続けた人
現在に至っては天皇陵は宮内庁の管理、天皇社は水尾の人々が持ち回りで管理している。天皇陵も政治が安定しているときは役人の担当が管理していたと思われるが、その手が及ばないと時は水尾の人々が管理していたのかもしれない。そう水尾の人々は約1150年前からずっと守ってきたものがあった。村人の姓で一番多いのが「松尾」さんのようで 清和天皇の子孫にあたる源姓は誰一人としていない。その後 あれだけ歴史に名を残した源氏・・。子孫に守られることなく、当時天皇に仕えた人々の子孫が守り続けた・・世の中そんなものなのかもしれない・・色々と深く考えてしまいます。
小倉山を少し登った付近から市内を眺める
そんなに登った感はないけれど、結構見晴らしが良い・・ 渡月橋も小さく見える・・ 見通しが良ければ写真の左端の山の麓あたりに清水寺が見えるのですが。 昔の平安京があった頃は 京都タワーり左横(写真の真ん中あたり)に羅城門があり今みたいにいろんな建物もなかったので、きれいな碁盤の目が見えたのかもしれない・・ さて小倉山に住まいを構えている一つに大河内山荘がありますが、それよりも上に誰も何もしなかったのが不思議に思える・・別荘を作りたいと思っても どこからかの圧力があったのか・・小倉山のイメージダウンとか環境破壊とか・・言っていた人もいそうな気がします。
小倉山を少し登った付近から市内を眺める
そんなに登った感はないけれど、結構見晴らしが良い・・ 渡月橋も小さく見える・・ 見通しが良ければ写真の左端の山の麓あたりに清水寺が見えるのですが。 昔の平安京があった頃は 京都タワーり左横(写真の真ん中あたり)に羅城門があり今みたいにいろんな建物もなかったので、きれいな碁盤の目が見えたのかもしれない・・ さて小倉山に住まいを構えている一つに大河内山荘がありますが、それよりも上に誰も何もしなかったのが不思議に思える・・別荘を作りたいと思っても どこからかの圧力があったのか・・小倉山のイメージダウンとか環境破壊とか・・言っていた人もいそうな気がします。
deep in the heart of Mt. Arashiyama
Looking into the back of Arashiyama
deep in the heart of Mt. Arashiyama
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